内定コーチング流 社歴の長い企業がいいのはなぜ?

みなさん~、こんにちはー、大阪の就活塾、内定コーチング関西校です。

企業研究、社歴の長さ

日本には社歴の長い会社はたくさんあります。一番古い会社は金剛組です。飛鳥時代からあります。いろいろあって今は高松建設が資本を握っていますが、飛鳥時代ってかんがえると本当に長いですね。聖徳太子の時代ですから。ちなみに東証一部上場の会社にも100年企業は多数存在します。

帝国データバンクによると2020年に400周年記念企業は、2社宮崎県の鳴子観光ホテルとあの有名な虎屋のようかんの広島県福山市の虎屋です。1部上場企業では、接着剤製造のユニシ(株)が150周年、130周年はオフィス家具のイトーキと農機具のクボタ、120周年はいなげや、日清製粉。110周年は日立製作所や不二家。100周年は自動車のマツダ、キーコーヒー、リンナイなどがあります。ちなみに70周年はバンダイ、60周年にはオリエンタルランドなどがあります。ソフトバンク株式会社(現ソフトバンクグループ)1981年創業で考えると40年くらいです。虎屋の10分の1です。

パナソニック カネボウ 理念型経営

パナソニックを例に考えていきます。

恐慌からの脱却

パナソニックは1917年松下幸之助が奥さんと弟と友人の5人で創業します。しかし2股ソケットはなかなか売れず、金策に苦労ました。その苦労した姿を見て、友人は2人は申し訳ないということで会社を去ります。その後ある別製品の受注が大量にあり一気に売り上げが上がり、1918年に会社組織に松下電器具製作所を設立します。今年で102年の長寿企業ですね。

1927年、松下電器を大きく飛躍させる商品の、自転車用ランプを発売します。これから松下グループがどんどん躍進していきます。

しかしこの1918年から1927年の間の1923年に関東大震災が起こり東京が壊滅状態になります。そこで起こるのが震災恐慌です。

そして次に起こるのが1927年の昭和金融恐慌です。これは鈴木商店の破綻から始まります。鈴木商店は今で言う総合商社でした。合併前の双日や神戸製鋼、帝人などを傘下に置く一大コンチェルンです。台湾銀行とズブズブの関係でした。もともとは時の大蔵大臣の「東京渡辺銀行が破綻しました。」と失言で取り付け騒ぎになりました。さらに鈴木商店の倒産により、台湾銀行も破綻追い込まれ金融不安が拡がりました。この時にあの有名な高橋是清の片側紙幣印刷で難を逃れました。

その次に昭和恐慌(世界恐慌)に巻き込まれます。これは1929年のアメリカ発の世界恐慌です。この時も高橋是清の積極財政出動のおかげで収束していきます。このときに松下がとった行動がかの有名な「従業員は解雇しない。給与も下げない。工場は半日勤務にして後はみんなで在庫販売をする」を徹底して乗り切ります。

この10年足らずに様々な恐慌が日本を訪れますが松下は従業員の力でどんどん飛躍をしていきます。

そして1935年には、9分社設立。1938~1944年には32分社にまでなりました。このうちの一つの松下電器が兵器の部品受注を受けます。さらにこの松下電器が松下航空工業に改組、さらに軍部の命令で松下造船と松下飛行機を設立しています。

1945年終戦。松下は軍需産業としてGHQから解体を迫られます。さすがにもう駄目だと、松下幸之助も考えたそうです。そこから弟の井植さんに三洋電機を設立させます。

とこのように激動の昭和の始めまで様々な社会的背景がありながらも財閥指定を免除されて生き残っています。

内的・外的要因からの脱却

しかしその後も1964年、2代目社長の娘婿、松下正治氏の時に系列店の過酷なノルマや不良品販売などにより販売店が紛糾。「熱海会議」が行われ、松下幸之助が会長兼営業本部長になり業界トップに返り咲く。そして主婦の店、ダイエーが値引き販売をしダイエー松下戦争勃発。

1970年オイルショック。さらには、コンピューター開発の取りやめ、その後にパソコンブームができて大きく出遅れる。しかしレッツノート(法人向けパソコン)の爆発的販売で盛り返す。太陽電池の開発を断念し、後に三洋電機子会社化。さらに2012年2期連続7000億円超えの大赤字。半導体事業の撤退。などなど表に出ているだけでこれだけのピンチの連続です。

社歴の長い会社には、企業だけの問題だけでなく、社会情勢の問題。金融問題。政治の問題など経営とは違う畑での火の粉が大きく大きく降りかかってきます。しかし恐慌から立ち直り、労働問題から立ち直り、政治不安から立ち直り、社長代替わりなど様々な問題をかいくぐって今があります。だから立ち直るすべを持っているのです。これが長年培ってきたノウハウになります。

パナソニックは1例です。社歴の長い企業、特に松下幸之助のようなカリスマ経営者がいる企業は、カリスマが天に帰った後に様々な問題が内部で浮上してきます。その問題もはね返して今があるのです。だからある意味危機に対しての免疫が十分ついているのです。

カネボウはなぜ潰れた?

カネボウは1887年(明治20年)に東京綿商社として設立されます。そして1889年に上場します。そして合併などを繰り返し、1936年には売上高1位になります。1940年前半には、繊維以外の事業(化粧品、資源開発、木材工業、製鉄、化学、金属、機械、航空機工業等)を広範囲に拡大しており、鐘紡コンツェルンと言われるまでになっていました。しかし戦争で工場は兵器工場となり、敗戦後は解体され、カネボウは繊維のみになりました。1947年カネボウ中興の祖である武藤絲治氏が社長に就任します。この方は初代社長の武藤山治の息子です。化学部門を分社化し現在の株式会社カネカを設立分社化します。そして現在のカネボウ化粧品を買戻し、現在のクラシエフーズを買収し、薬品会社を買収し現在のクラシエ薬品を作ります。このようにまた昔の巨大企業に変貌しつつありました。しかし大きくなると必ず危機は訪れます。経営危機の責任をとって中興の祖は会長に就任し、社長には伊藤淳二氏が社長になります。

この伊藤氏はあの山崎豊子の「沈まぬ太陽」のなかで国民航空の再生にきた会長のモデルです。伊藤氏は労使協調路線で経営危機を乗り切ります。それが評価され日本航空の会長に抜擢されます。しかしここでも労使協調を試みましたが、あえなく失敗し1年足らずで辞任しています(正式には更迭)。この伊藤さんがのちのカネボウの破綻に導く人と言っても過言ではありません。一番の原因は労使協調がリストラを阻害し、より経営を圧迫します。

そして決定的な出来事が、粉飾決算です。この粉飾決算を手引きしたのが当時副社長の宮原氏が多いに関与して指示しています。この人はさくら銀行からの出向役員です。当時の副社長と社長の帆足氏がグルになって行っていました。さらにカネボウ化粧品の売却が進んでいたにもかかわらず、それを阻止したのが先の伊藤淳二氏だったとも言われています。その売却情報を組合に漏らし反対させたとのことです。理由は名誉ある撤退みたいなことらしいです。潔くカッコよく潰れろみたいな感じでしょうか?もともとは自分たちが不良在庫を抱えていたにもかかわらずみたいな感じですね。沈まぬ太陽の伊藤さんは美化されすぎています。

さてそうこうして、100年企業のカネボウは、破綻し分離していきます。

この2社の違いは何なのでしょうか?それは理念型経営か、個人主義の経営かです。パナソニックは経営理念を明文化した最初の企業とも言われています。かちゃカネボウは。伊藤氏、帆足氏、宮原氏と個人のプライドの高さが経営に出ています。帆足氏は自分が社長になってすごくなったと世間に見せたいし、宮原氏は旧銀行に見せつけたい。伊藤氏に関しては経営悪化の責任を免れたいから組合と歩調を合わせる。そこの見極めが学生さんはむつかしいです。では理念型経営とはどういうものでしょうか?

理念型経営

経営理念の定義はむつかしいですが、「経営理念とは企業経営における目的・価値観であり、指針・指導原理である」と立教大学の安倍教授は言っています。「会社や組織が何のために存在しているのか、どういう目的で事業を行っているのか、どのような考え方で行動するのかを明文化したものです。」企業によって言い方は異なります。フィロソフィー、ミッション、クレド、ウェイ、バリュー、ビジョンなどです。では理念型の会社はどうなるかと言いますと、パナソニックの石油ファンヒーターの死亡事故で、当社の責任はないにもかかわらず、亡き創業者の松下幸之助の「企業は社会の公器である」という考えから、当時の社長の中村さんがテレビコマーシャルを全て回収のコマーシャルに変えました。当時はこれがすごいインパクトとなり、今も企業の製品についてのトラブルがあれば製品の危険を知らせるCMに変わる流れを作りました。京セラやJALはフィロソフィーに則って経営を進めていきます。またエムケイタクシーは従業員の不祥事を包み隠さず、自社の社内報の第一面に載せて、経営理念の重要性を訴えています。経営理念というのは、会社は個人や株主のものではなく、公器なものだという事なのです。だから個人の感情で判断するのではなく、理念に沿って判断していくのです。

ジョンソンエンドジョンソンのタイレノール事件も同様です。これは同社の薬品、タイレノールを飲んで突然死が起こります。ここでJ&Jがとった行動は隠すのではなく、新聞の広告に「タイレノール」は一切飲まないように、という広告を打ちます。なぜこういう行動をしたかと言いますと、クレドの1番目に「すべての顧客に対する責任」を全うしたのです。新聞記者に対しても真摯に答え、情報開示をし、あらゆる手段を起こしたのです。

こういう真摯な行動の結果、一時期売り上げは下がりましたが、また回復し、今では世界企業にまで発展したのです。パナソニックの石油ファンヒーターもこのタイレノール事件の教訓を生かしたのです。

理念型経営の基本は社長がそうかどうかです。社長が100%理念を守れていないとそれは理念型経営ではありません。社長が守らない限り、役員や従業員さんには絶対浸透しません。カネボウとパナソニックの差がここなんです。社長がかっこつけか、理念に沿った人かで、いざという時の決断が異なるのです。

学生さんもこの理念型企業に就職していきましょう。但し厄介なのは、本当に理念型かどうかは働かないとわかりません。だからこそOB訪問の数が大事なんです。何回も直接会ってわかるしかありません

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