資本と経営の分離
みなさん~。こんにちは~。内定コーチング関西校です。
三井と三菱話です。なぜ、三菱は財閥解体後の再結集がいち早く、三井は三菱や住友に遅れたのでしょうか?
それは戦争時にあったようです。三井の実質的経営者の團琢磨殺害後、三井の本家が経営口出しをしてきます。三野村利左エ門が亡くなった後もそうでした。創業家というものはどこかで口を出したがるものなのですね。
それが戦中にも三井家がいろいろと経営者や会社に口出しをしてきていたそうです。そこで財閥解体で三井物産は200社に分社されます。その分社のされかたが、商品別や機能別に分社されたわけではなく、人中心で分社されました。一人一人が一国一城の主です。なんで今更、三井家のために集まらないといけないの?という思いがあったそうです。
能力の高い指導者がいる場合には、三井家というものは象徴として扱われましたが、その人がいなくなって口出しをしてしまうと、今でいう韓国の財閥系の娘や息子と同じようになりますね。人中心、番頭中心で経営してきたからこそ個性が際立ってしまいます。
かたや三菱は財閥指定を最後まで反対していた岩崎小弥太がいたように、強いリーダーシップがあるからこそ、そこで働く番頭は創業家に尽くそうとする日本人らしいところがあります。だからこそすぐに再結成し、今の時代でも財閥系では一歩前に出ていますよね。
こういうことも勉強していくとわかりやすくなりますよ。
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