三井の窮状を救った三野村利左衛門。
みなさん~。こんにちは~。内定塾大阪校です。
三井物産の話を前のブログで書きましたが、三井物産があるのももしかするとこの利左エ門さんのおかげかもしれません。幕末における三井は創業以来の窮地に立たされていました。本店越後屋をの不振に加え、幕府の高額な御用金の要求があった。利左衛門は三井の窮状を訴え、減免交渉を続け、やがて減額、分納になりその後御用金要求をゼロにした。
さらに大政奉還後は新政府との接触も強め、西郷隆盛との親交も深かった。明治元年には会計事務局為替方を皮切りに明治政府の要職について、新政府の財政難を乗り切った。大隈重信、井上馨、渋沢栄一ら大蔵省関係者との関係を深めていった。そして明治初の民間銀行、三井銀行設立に至るわけです。時を同じくして三井物産も設立しています。
利左衛門はさらにこういう事業の他に、三井家と企業組織としての三井とに一線を画す改革を成し遂げていきます。利左衛門は外部の人間です。しかも中途採用の大番頭です。この大番頭が組織を改革するというのは並大抵のことではありません。特にこの江戸~明治初期の話ですから尚更、家制度の縛りが強いのは当たり前のことです。
しかしこの功績が、今の財閥三井を作り上げているわけです。
福沢諭吉曰く「無学で偉い人は、二宮金次郎と三野村利左衛門だ」と門弟たちに語ったと言われています。
もしかれがいなければ、今頃「おぬし~よのう。越後屋」というセリフはなかったかもしれませんし、三井事態は存在していないわけです。
三井グループ(二木会メンバー企業)には、三井という名のある企業の他に、IHI、東芝、富士フィルム、東レ、TBSホールディングス、王子ホールディングス等、他にあの日本を代表する大企業もオブザーバーとして参加しています。
三井財閥系に就職したい人は、三野村利左衛門のお墓にお参りに行くのもいいんじゃないですか。東京杉並区の天羅山真盛寺にあるそうです。
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