セメント業界。

みなさん、こんにちは~。内定塾大阪校です。

日本のセメント業界は、太平洋セメント、住友大阪セメント、ニチハ、麻生とありますが、今回は太平洋セメントのお話をしようと思います。

セメントの生産量の多くは、インドや中国です。発展途上の国ではセメントの生産は不可欠です。では日本はどうかと言いますと遠く生産量は追いつきません。しかしこの太平洋セメントは小野田セメントと秩父セメントと日本セメントが合併してできています。この小野田セメントというのは、明治14年に笠井順八が創業します。明治10年に西南西そうですから歴史のあるセメント会社です。

笠井順八は長州藩士です。政府の役人もしていました。明治になり新政府はお金がありません。一番の要因は武士に払う秩禄がないのです。そこで明治政府は武士の解体に着手します。その過程の中で西南戦争は起こるわけです。鎌倉武士から続いたご恩と奉公という関係が崩れるのです。高杉晋作らが実施した奇兵隊という概念は、農民でも軍隊を作れるということを証明しました。だから武士の役割はなくなるわけです。そこでいたるところで反乱がおきます。萩の乱もそのうちの一つです。前原一誠と笠井順八はとても仲の良い友人でした。友人の前原一誠は乱を起こし失敗し、笠井は戦後の後処理を悔しがりながらしていたと言います。武士を助ける方法は会社を興すことだと考えた彼が小野田セメントを設立したわけです。

なぜセメント会社を作ったかと言いますと、郷里の友人、井上馨からの勧めでもあります。セメントで国に報いる気持ちで創業したそうです。さらに長州藩ということもあり、政府と強いパイプもあったのは事実なので、設立当初は上手く行きませんが、政府の後押しもありいろいろ仕事は受注されていきます。

小野田セメントのすごいところは、武士の生活のため、戦ではなく仕事を作ったことです。三菱の創業者岩崎弥太郎も武士を使うのに苦労したと言います。頭を下げれない武士に徹底して練習させたと言います。そういう意味でも武士を解体させた政府に対して、民営でなんとか救済していった小野田セメント。時代のためとはいえ、いろいろな役割があるものです。

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